みんなが円を売るなか、オーストラリアの42兆円の年金は円を買っていた。その「最大の賭け」は、0.5ポイントだった
円は、1ドル=159円前後にいる。7月末には163円台後半まで下がって、40年ぶりの円安になった。日米の協調介入を挟んで少し戻したけれど、円を売る流れは変わっていない。
そんななか、「オーストラリア2位の年金基金が、円の持ち高をここ数年で最大に積み増した」という報道を読んだ。みんなが売っているものを、42兆円を運用するプロが買っている。
なぜ買うのか。そして、どれくらい買ったのか。中身を見たら、2つのことが気になった。プロの「最大の賭け」の意外な小ささと、「円は割安」が本当ならわたしの資産はどう見えるのか、だ。順番に見ていく。
1. 報道は、こう言っている
・円が160円に向けて下落するなか、ここ6か月積み増してきた。原資の一部はドルの持ち高を削って作った
・理由は「円は非常に割安」「市場は日銀の利上げを過小評価している」
・ドル円の適正水準は150円前後、140円台後半もあり得るとの見立て
・あわせて米国債は持ち高を減らしている(アンダーウエート)
日銀が9月に利上げをして、金利の差が縮まれば、円の支えになる。市場はそれをまだ値段に入れきっていない。だから今の円は安すぎる。そういう理屈だ。
もちろん、これは一つのファンドの見方にすぎない。世の中には「まだ円安が続く」と見るプロも大勢いて、だから円は159円にいる。プロどうしが逆を張り合っているのが、今の為替市場だ。
2. ARTって、どんな組織なのか
聞き慣れない名前なので、先に紹介しておく。
・会員は約240万人。カンタス航空の企業年金なども、あとから合流している
・運用資産は約3,700億豪ドル(約42兆円)で、オーストラリア2位
面白いのは、この基金の背景にある、オーストラリアの年金の仕組みだ。スーパーアニュエーションといって、雇用主が給料の12%を年金口座に入れることが、法律で義務づけられている。働く人は自動的に、積立投資をしていることになる。
この強制積立のおかげで、オーストラリアの年金資産は国全体で4兆4,000億豪ドル(約500兆円)まで膨らんだ。人口は約2,700万人で、日本の5分の1ほど。その国の年金だけで、日本の家計金融資産(約2,400兆円)の2割にあたる山ができている。世界でいちばん速いペースで増えている年金市場だという。
つまりARTは、240万人の老後のお金を、給料から自動で預かり続けている巨大な積立ファンドだ。その点では、毎月オルカンを積み立てているわたしと、やっていることの形は同じだ。規模は、だいぶ違うけれど。
3. 「最大の賭け」は、0.5ポイントだった
ここからが、この報道でいちばん面白かったところだ。
見出しには「ここ数年で最大の賭け」とある。42兆円のプロが円に大きく張った、という響きだ。では、実際にどれだけ張ったのか。記事の中に、数字がちゃんと書いてある。
資産配分を100とすると、100分の0.5だけ円に傾けた、ということ
仮に運用資産全体を0.5ポイントと置けば約2,100億円。金額は大きいが、配分では200分の1
0.5ポイント。それだけだった。
「円は非常に割安」とまで言い切って、6か月かけて積み増した。個人が「円高が来そうだからオルカンを全部売る」とやれば、それは100ポイントの賭けだ。プロの「ここ数年で最大」は、その200分の1しかない。
なぜこんなに小さいのか。理由は、たぶんシンプルだ。為替が当てられないことを、いちばんよく知っているのがプロだからだ。0.5ポイントなら、読みが当たれば少しだけ成績が良くなり、外れても240万人の老後は傷つかない。当てる自信の大きさではなく、外れたときに耐えられる大きさでポジションは決まっている。
オーストラリアの年金基金には、運用成績を毎年ベンチマークと比べられる当局のテストもあって、大きく外れた賭けはそもそもしにくい。確信は言葉で語り、賭けは小さく張る。42兆円の世界は、そうやって回っているらしい。
4. 「円は割安」なら、わたしの持ち物はどう見えるか
ルーカ氏の言うとおり円が150円に戻るのかは、わたしには分からないし、当てにいく気もない。ただ、この報道は自分の資産を別の角度から見るきっかけになった。
わたしの資産は約5,831万円。そのうちオルカンとS&P500の投信が3,794万円、米国の債券ETFのBNDが約263万円ある。つまり、約7割が、円から見た外貨だ。円が安くなるほど、円建ての評価額は膨らんで見える。この2年ほどの円安は、ずっとわたしの追い風だった。
では、もしARTの見立てどおりになったら。計算してみた。
150円(ARTの適正水準)になったら:円高は約5.7%。評価額は約230万円目減り
148円(140円台後半)なら:約6.9%で、約280万円目減り
約230万円。わたしの年間の生活費の、かなりの部分にあたる金額だ。
大事なのは、これを「損」と読まないことだと思う。円安の間に膨らんだ評価額には、円安のゲタが入っている。円高はそのゲタが外れるだけで、持っている投信の口数もBNDの口数も、1口も減らない。株価が下がっても配当がほしいという買った理由が壊れないのと同じで、為替が動いても、世界中の会社を持ち続けるという理由は壊れない。
それに、わたしの積立はこれからも続く。円高になれば、同じ積立額で多くの口数が買える。ゲタが外れる側と、安く買える側の、両方にわたしはいる。
5. もうひとつの持ち物、BNDのほうは
ARTの見立てには、続きがある。円を買う一方で、米国債を約0.5ポイント減らしている。インフレが目標を上回り、AI投資で成長も底堅いなか、米国の30年債の利回りは5.5%に向けてまだ上がり得る、という読みだ。
これは、わたしのBNDに関係する。BNDの記事で見たとおり、米財務省は国債を買い戻して利回りの上昇を抑えようとしている。ルーカ氏はそれを「上昇を防ぐのではなく、先送りしているに過ぎない」と見ている。
金利と債券の値段はシーソーだ。利回りが上がれば、BNDの値段は下がる。ARTの読みが当たれば、わたしのBNDには向かい風になる。ここでもやることは同じで、売らない。BNDは株と違う動きをしてもらうために持っている228口で、その役割は金利がどこへ行っても変わらないからだ。ただ、プロが何を減らしているかを知っておくことは、決算短信を読むのと同じくらい、タダでできる備えだと思う。
6. 持ち帰ったのは、2つの数字だった
円高が来るかどうかの予想は、持ち帰らない。持ち帰るのは、数字だ。
ひとつは、0.5ポイント。42兆円のプロが「非常に割安」と言い切るときの、賭けの実際の大きさ。もうひとつは、約230万円。わたしの評価額に入っている、円安のゲタのおおよその厚み。
マーケットタイミングに一貫して成功した人を、
私はひとりも知らない。
成功した人を知っているという人すら、知らない
インデックスファンドを世に広めたボーグルの、有名な言葉だ。
ARTのプロたちも、たぶん同じことを知っている。だから「当てる」のではなく、小さく傾けることしかしない。確信があっても0.5ポイント。それが、他人のお金を預かる人たちの流儀だった。
わたしはといえば、0.5ポイントも傾けない。円高が来ても来なくても、積立は同じ日に同じ額で続く。変わったのは、月末の評価額の読み方だけだ。この数字には、159円のゲタが入っている。同じ数字が、それを知ってからは少し違って見える。それで十分だと思っている。
わたしのオルカンの積立も、S&P500も、BND228口も、ぜんぶSBI証券の口座です。8年以上使っているメイン口座で、為替が円高でも円安でも、積立は同じ日に同じ額で続いていきます。
SBI証券の公式サイトを見る →7. まとめ
- 豪2位の年金基金ART(運用資産約42兆円)が、円の持ち高をここ数年で最大に積み増した。「円は非常に割安」とみて、適正水準は150円前後
- ARTは240万人の老後資金を預かる。豪州は給料の12%の強制積立で、国全体の年金資産は約500兆円
- ただし「最大の賭け」の実際の大きさは、配分の約0.5ポイント。プロは当てにいくのではなく、外れても耐えられる大きさで小さく傾ける
- わたしの資産は約7割が円から見た外貨。もし150円になれば評価額は約230万円目減りする計算だが、それは円安のゲタが外れるだけで、口数は1口も減らない
- ARTは米国債を減らしてもいる。読みが当たればわたしのBNDには向かい風。それでも売らないが、プロが何を減らしているかは知っておく
- わたしは0.5ポイントも傾けない。積立は同じ日に同じ額で続け、評価額のゲタの存在だけ覚えておく
・ARTの成り立ちと会員数:ART公式サイトおよび公開情報(2022年のSunsuperとQSuperの合併で発足、会員約240万人)
・豪州の強制積立の拠出率:スーパーアニュエーション・ギャランティー(2025年7月から12%)。人口約2,700万人はオーストラリア統計局の推計から
・日本の家計金融資産:日本銀行「資金循環統計」(2026年3月末、約2,386兆円)を約2,400兆円と丸めた
・ドル円の終値:Yahoo Financeからわたしが取得(7月28日163.86円、8月26日159円前後)
・わたしの資産の数字:2026年7月末の月次レポートから。円高時の目減りはわたしの粗い試算です
・ボーグルの言葉:John C. Bogle『Common Sense on Mutual Funds』(1999)。訳はわたし




