なぜ、会社は突然「4,000億円の損失」を出すの? 話題の「のれん」を調べてみた
「会計基準機構が『のれん』償却維持を決定」というニュースが流れてきた。
正直、見た瞬間に「わたしには関係ない話かも」と思った。会計基準という言葉が、もう遠い。
でも中身を追っていったら、まったく他人事ではなかった。これは、持っている株が、ある日いきなり「特別損失4,000億円」みたいな数字を出すのはなぜか、という話だったからだ。
わたしは日本の高配当株を100銘柄ほど持っている。全部を読み切ることはできないけれど、何が起きうるのかくらいは知っておきたい。
やさしいところから、順番に整理してみる。
1. そもそも「のれん」って何?
会社が別の会社を買うとき、中身の値段より高いお金を払うことがほとんどだ。
町のパン屋さんで考えてみる。
会社の買収でも、まったく同じことが起きる。買収額から、相手の会社の中身の値段を引いた差額。これが「のれん」だ。
ここまでは、日本も世界も同じ。分かれるのは、この2,000万円をこのあとどう扱うかだった。
2. 日本と世界で、扱い方が正反対だった
日本のルール:毎年少しずつ、費用にしていく
2,000万円を20年で割って、毎年100万円ずつ利益から引く。これを「償却」という。20年経つと、帳簿の上ののれんはゼロになる。
世界のルール(IFRS・米国基準):引かない
2,000万円はそのまま置いておく。代わりに毎年1回、「まだ2,000万円の値打ちある?」と点検する。
この差が、どう効いてくるか。
| 日本のルール | 世界のルール | |
|---|---|---|
| 毎年の利益 | 100万円ぶん薄く見える | 引かないので厚く見える |
| 10年後の残高 | 1,000万円まで減っている | 2,000万円のまま |
| 傾いたときの損失 | 1,000万円 | 2,000万円 |
| 価値の点検 | あやしい気配があるときだけ | 最低でも年1回、必ず |
| イメージ | 分割払いで痛みを散らす | 支払いを先送りにする |
この「価値がなくなった」と認めて一気に損失を出すことを、減損という。
つまりこういう構図だ。
- 日本方式:毎年ちょっとずつ痛い。でも爆弾は小さくなっていく
- 世界方式:ふだんは痛くない。でも爆弾は大きいまま
3. 実際に起きた「4,000億円」
具体例がひとつある。日本郵政だ。
そのうち、のれんは5,048億円。買収額の8割が「中身の値段を超えた部分」だった
買収直後:資源価格が急落し、豪州経済が低迷。トール社の業績が悪化
2017年3月期:のれんの減損3,923億円を含む、4,003億円の特別損失を計上
ここで大事なのは、日本郵政は日本基準の会社だということ。
つまり、毎年こつこつ償却していても、巨額の減損は起きる。償却は爆弾を小さくするけれど、なくしてくれるわけではない。
このニュースを「日本方式なら安心」と読むのは、ちょっと違う。大きさが変わるだけだ。
4. 世界も、昔は償却していた
調べていて意外だったのが、ここだった。
日本だけが変わり者なのではなく、途中で世界が曲がったのだ。
なぜ、米欧は曲がったのか。会社の価値の中心が、変わったからだ。
昔は、会社の価値といえば工場や機械だった。機械は使えば古くなって、価値が減っていく。だから「のれんも同じように減っていくもの」と考えるのが自然だった。
ところが米国では、1990年代からブランド・技術・人といった「目に見えない資産」への投資が急増した。実際、民間投資を名目GDP比で見ると、米国では2000年ごろに無形資産への投資が有形資産への投資を追い抜いている。
そして、ブランドは使っても減るとは限らない。むしろ育つこともある。「20年で価値がゼロになる」と決めつけるほうが、かえって現実と合わない。国際会計基準の側は、こう説明している。のれんが減っていくパターンは予測できないのだから、何年で償却するかを決めても、それは根拠のない見積もりにしかならない、と。
いっぽう日本は、一貫して有形資産への投資の比重が高いままだった。工場や設備が価値の中心なら、「使えば減る」という考え方のほうが実態に合う。
会計ルールの違いは、その国の会社の姿の違いでもあったのだ。
5. 「償却しない」は、最終的にどうなるの?
ここで、素朴な疑問が出てくる。毎年点検して、下がっていたら損失を出すのなら、結局は日本と同じことでは? ということだ。
わたしもそう思った。でも、調べたらかなり違った。
① 順調なら、永久に残る
日本方式には20年というゴールがある。必ずゼロになる。
世界方式にはゴールがない。点検して「まだ値打ちがある」と判断されれば、2,000万円のまま。10年後も30年後もそのままだ。
だから決算書には、何十年も前に買った会社の「のれん」がそのまま載っている、ということが普通に起こる。
② 下がっていても、出てこないことがある
ここがいちばん大事なところだった。
点検は、のれん単体ではやらない。買った会社を含む事業部門をまるごと見て、「帳簿に載っている金額より、いまの価値のほうが下?」を確かめる。
パン屋さんで言うと、こうなる。
→ 部門ぜんぶで見れば価値が上回っているので、減損は出ない
→ 買ったのれんは確かに目減りしているのに、数字にはいっさい表れない
これを「余裕によるシールド(覆い隠し)効果」という。買収後に自分で稼いで生まれた余裕が、クッションになって目減りを隠してしまう。
結果、傷んでいることが表に出るのは、その余裕まで食いつぶしたとき。そのころには、たいてい手遅れだ。
国際会計基準の側(IASB)自身が、これを 「too little, too late(少なすぎて、遅すぎる)」問題 として認めている。
ちなみに日本方式でも、点検するのは「あやしい気配があるとき」だけだ。3章の日本郵政も、買収から減損まで2年かかっている。どちらの方式でも、傷はすぐには数字にならない。違うのは、待っているあいだに残高が減っていくかどうかだ。
③ 一度落としたら、戻せない
もうひとつ、非対称なルールがある。
のれんの減損は、あとで業績が回復しても戻せない。工場や機械なら戻し入れが認められているのに、のれんだけが例外だ。
理由は②の裏返しで、回復したぶんは「買ったのれん」ではなく買収後に自分で作ったのれんだから。それを利益にしてしまうと、自作ののれんを資産に載せることになってしまう。
じつは日本は、この点を国際的にもずっと主張してきた。「償却を復活させてほしい」と、何年も言い続けてきた側だ。
けれど2022年11月、IASBは償却の再導入を見送る方針を固めた。償却のほうが投資家にとって明らかに有用だという証拠が足りない、という理由だった。背景には、同じ年の6月に米国側が議論を打ち切ったこともある。2024年3月には、非償却を維持したまま開示だけを手厚くする案が公表され、長い論争にひと区切りがついた。
世界を説得することは、できなかった。
その状態で迎えたのが、今回の決定だ。
6. 今回、なぜ「変えない」で決着したのか
発端は、政府の規制改革推進会議だった。2025年5月の答申で、のれん償却がスタートアップのM&Aを阻んでいるとして、見直しの検討を求めた。
言い分はこうだ。
日本基準の会社は、買収するとその後ずっと償却の負担を背負う。だから高い買収価額を出しにくい。結果、償却しなくていいIFRSの会社との競争に負けてしまう。日本のスタートアップの出口がIPOばかりでM&Aが少ないのは、これも一因ではないか、と。
2025年7月には、経済同友会ほか12団体、スタートアップ35社、経営者138名が、正式に見直しを提案した。
そのあと、約1年かけて公聴会が9回。2026年4月から6月にかけては、広く意見を募る手続きも行われた。
そして出た結論が、「変えない」だった。
・償却か非償却かを会社が選べる「選択制」も導入しない
・理由は、突発的に多額の減損損失を計上するリスクを軽減できるから
決め手になったのは、当事者である企業の側が、変更を望まなかったことだ。
2026年4〜6月の意見募集で、経団連は非償却の導入を支持しなかった。提案側だった経済同友会と、はっきり意見が割れた。
これは今回に始まったことでもない。京都大学が2018年に行った調査(経団連加盟企業と、当時の東証一部上場企業が対象)では、こんな結果が出ている。
| 望む処理 | 全体 | のれんがある会社 |
|---|---|---|
| 償却してほしい | 73.4% | 77.2% |
| 償却しないでほしい | 15.9% | 14.8% |
| どちらでもいい | 10.7% | 8.0% |
「償却しなくていい」と言われても、大企業の7割以上は「いや、償却させてほしい」と答えている。
理由は、5章で見たとおりだ。償却をやめると、のれんが減らずに残り続ける。大企業は毎年の償却負担なら吸収できるけれど、あとで来る爆弾が大きくなるほうが、よほど怖い。
野村資本市場研究所のレポートも、この点を冷静に指摘している。非償却にしたところで、投資家が「のれんが大きすぎる」と警戒することは変わらない。むしろ償却には、のれんの残高を段階的に減らして減損リスクを下げる効果がある。本当に必要なのは会計処理の変更ではなく、「なぜその買収をしたのか」「その後どうなったのか」を会社がきちんと開示することだ、と。
7. で、わたしの株には関係あるの?
ここからが、自分ごとの話。
① 「日本株」の中に、2つのルールが混ざっている
日本の会社なら全部が日本基準、ではない。IFRSを選んでいる会社もある。
社数で見ると、適用済み295社と適用を決めた20社をあわせて315社。上場企業全体から見れば、1割にも満たない。
ところが、時価総額で見ると東証全体1,012兆円のうち49.8%。約半分だ(2025年8月時点)。
トヨタ、ソフトバンクグループ、武田薬品のような大型のグローバル企業が中心に選んでいるから、こうなる。
つまり、TOPIXの中身は、「毎年ちょっとずつ引く会社」と「引かない会社」が半々で入っている。
言いかえると、TOPIXや日経平均のインデックスファンドを持っているなら、その中身の半分は「爆弾を先送りするルール」の上で動いているということだ。個別株を1つも持っていなくても、無関係ではない。
② 同じ「営業利益」でも、中身が違う
日本基準の会社の営業利益は、のれん償却を引いたあとの数字。IFRSの会社は引いていない。
だから、日本株どうしでもPERや営業利益率の単純な比較には、少しだけ注意がいる。同じものさしで測っているように見えて、目盛りが違うことがある。
ちなみに今回の提案には、「償却費を営業費用から外して、営業外費用や特別損失に移す」という案も含まれていた。これも、あわせて見送られている。
③ 「ある日突然」を、少しだけ減らせる材料がある
これは知らなかったので、書いておきたい。
2021年3月期から、監査報告書に「監査上の主要な検討事項(KAM)」が載るようになった。監査した人が「ここが特に重要だと判断した」という項目で、のれんの減損を検討したことが書かれる場合がある。
日本公認会計士協会の分析では、KAMに書かれた翌期以降に、実際に減損が計上された事例がある。
減損が出ると確定するわけではない。でも、「ここは危ないかもしれないと、プロが見ていた」という記録が、有価証券報告書の中に残っている。これは株主総会のハガキと同じで、捨てるものではなく、使えるものだと思う。
8. わたしがやっていること
正直に書くと、100銘柄ぶんの監査報告書を毎年読むのは、わたしには無理だ。
だからやっているのは、読み切ることではなく、読み切らなくてもいい持ち方をすること。
- 1銘柄あたりを小さく持つ。1社が大きな減損を出しても、資産全体が揺れないようにしておく
- 高配当株は業種を散らす。同じ業界がまとめて傾く形にしない
- 土台はインデックス。オルカンやTOPIXの中で1社が巨額の減損を出しても、指数の中では小さな一部にしかならない
のれんは、決算書のなかでいちばん「人の判断」が入る場所だと思う。いくらで買うかを決めたのも人、その価値がまだあると判断するのも人。
だからこそ、世界中の専門家が20年以上議論して、いまだに答えが割れている。日本と米欧で正反対のルールが並び立っているのが、その証拠だ。
プロが割れることを、わたしが読み切れるはずがない。なら、読み切らなくても平気な形にしておく。今回のニュースを追いかけて、結局そこに戻ってきた。
9. まとめ
- のれん=買収額から、相手の会社の中身の値段を引いた差額。ブランドや常連さんや人への支払い
- 日本は最長20年で毎年少しずつ費用にする(償却)。IFRS・米国基準は費用にせず、年1回点検する
- 日本方式は毎年の利益が薄く見えるかわりに、業績が悪化したときの損失が小さくなる。これが今回維持された理由
- ただし日本郵政は日本基準でも4,003億円の特別損失を出している。爆弾は小さくなるが、消えはしない
- 世界方式はゴールがなく、順調なら永久に残る。しかも部門全体の余裕に隠れて、目減りが数字に出ないことがある(IASB自身が「少なすぎて、遅すぎる」と認めている)。2022年11月、IASBは償却の復活を見送った
- 発端は政府の規制改革推進会議とスタートアップ側の要望。でも経団連は支持せず、京大調査でも大企業の7割以上が償却を希望していた
- 日本株でも時価総額の約半分はIFRS適用企業。同じ「営業利益」でもものさしが違うことがある
- KAMを見れば、減損の気配を事前に知れる場合がある。ただし全部は読めないので、わたしは分散で対処している
・経団連と経済同友会の対立:日本経済新聞「M&A『のれん』非償却、経団連は支持せず」
・議論の経緯(一次情報):財務会計基準機構「のれんの会計処理に関するテーマ提案への対応状況」
・制度の比較・歴史・京大調査・KAMと減損の関係:野村資本市場研究所「スタートアップのM&Aと『のれん』を巡る議論」(2026年冬号)
・減損テストの弱点(シールド効果):KPMGジャパン「減損テストは壊れているのか?」
・IASBの議論の決着:日本経済新聞「IFRS、のれん償却議論に区切り 迫られる日本の対応」
・日本郵政の減損:ダイヤモンド・オンライン「東芝・日本郵政の巨額損失を招いた『のれん代減損』とは何か」
・IFRS適用状況:日本取引所グループ「IFRS適用済・適用決定会社一覧」
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