歯1本の値段を調べたら30万円だった。それでも安いと思った理由と、健康という資産の話
今年、奥歯3本の銀歯をジルコニアに替えた。ジルコニアというのは、白くてとても硬い、金属を使わない素材のことだ。
理由は単純で、子どものころに手入れを怠ったツケが回ってきたからだ。当時ちゃんと磨いていれば、そもそも銀歯を入れることもなかった。30年近く経ってから請求書が届いた気分だった。
保険のきかない治療なので、金額はそれなりにかかった。せっかくなので歯にはいくらの価値があるのかを調べてみたら、そこから話がどんどん広がっていった。
結論から書くと、この記事でいちばん言いたいのは歯の話ではない。健康は、お金より先にあるという話だ。
1. 歯1本の値段は、30万円だった
歯を1本失って、インプラント(あごの骨に人工の歯根を埋め込む治療)で入れ直す場合の相場は、1本30〜40万円くらいだ。保険がきかないので全額自己負担になる。
もうひとつ、法律も歯に値段をつけている。交通事故などで体に障害が残ったとき、その重さを国の基準で分類する「後遺障害等級」という仕組みがあって、そこに歯を失った場合がはっきり書かれている。
等級に応じて慰謝料が支払われる。慰謝料というのは、つらい思いをしたことに対して払われるお金のことだ。
ここで大事なのは、この慰謝料が治療費とは別に支払われるということだ。折れた歯を入れ直す費用は、これとはまた別に請求できる。
つまり法律は「入れ直せば元どおり」とは考えていない。治したうえで、なお埋め合わせが必要なものが残ると認めている。ここがいちばん納得のいくところだった。
なおこの表は歯を失って人工の歯にした場合の基準なので、歯そのものは残っていて詰め物を替えただけのわたしには当てはまらない。それでも、歯を失うということが法律の世界でここまではっきり値づけされていると知って、少し背筋が伸びた。
そして、わたしはこの30万円という数字を安いと思った。
2. 30万円で買い戻せないもの
天然の歯には、人工の歯にはないものがついている。歯根膜(しこんまく)という組織だ。
歯と骨のあいだにある薄い膜で、2つの役割を持っている。噛む力を受け止めるクッションと、力の強さを感じるセンサーだ。このセンサーがとても優秀で、髪の毛1本くらいの厚みでも「何かはさまっている」と感知できると言われている。
インプラントには、この歯根膜がない。
つまり30万円で買えるのは「噛む機能」であって、「感じる機能」ではない。しかも永久ではない。天然の歯は、手入れさえ続ければ一生使える可能性がある。
治す側は、もっと高く見ている
調べていると、歯科の世界では「歯1本の価値は100万円以上」とよく言われていることを知った。歯科医師を対象にした調査で1本104万円という数字が出た、という話が広く引用されている。
ただし元の調査そのものは確認できなかった。調査した年も、対象人数も、どこにも書かれていない。なのでここでは数字としてではなく、毎日歯を治している人たちから見た感覚として受け取っておきたい。
それでも、並べてみると方向ははっきりしている。
近くで見ている人ほど、高く見積もっている。それが答えなのだと思う。
買い直せないものに、値札はつけられない。だから30万円は安いと思った。
3. 歯を失うと、お金も減る
ここからが調べていて驚いたところだ。歯を失うと、歯の治療費以外のお金が増える。
日本歯科衛生学会の学会誌に載った総説(32編の研究をまとめたもの)に、こんな調査が引かれていた。福島県の44,663人と兵庫県の47,128人を対象にした調査だ。
残存歯が19本以下の者に比べ、20本以上の者は総医療費(福島県)と医科診療点数(兵庫県)がともに約2割少なかった
歯科の治療費ではない。体全体の医療費が2割違う。
さらに、日本歯科医師会が2024年に公表したデータには、予防のために歯医者へ通うことの効果が金額で出ていた。
歯医者に通うお金は出ていくけれど、そのぶん別のところで戻ってきている。この構造は、なんだか投資の話に似ている。
4. 口の中は、全身の健康につながっていた
調べていていちばん背筋が伸びたのが、この部分だ。歯を失うことは、お金の問題ではなかった。
認知症のない時間が、2年変わる
東北大学と東京科学大学の研究グループが、65歳以上の44,083人を10年間追跡した研究がある。国際的な専門誌に2024年に載ったものだ。
65歳の時点から数えて、認知症にならずに過ごせる期間が歯の本数で何年変わるかを調べている。
歯が20本以上ある人は、0本の人より男性で2.04年、女性で1.75年、認知症にならずに過ごせる期間が長い。寿命そのものも男性で2.42年長かった。亡くなるリスクも、歯が0本の人は20本以上の人の1.47倍だった。
歯を守ることが、時間を買っていたことになる。
口の中の菌が、脳に届いている
もうひとつ、九州大学の研究チームが出しているものがある。
歯周病の原因になる菌を全身に投与したマウスで、脳に炎症が起き、学習や記憶の力が落ちたという結果が出ている。さらに2019年には、人間の歯周病の歯ぐきで「アミロイドβ」がつくられていることを世界で初めて確認したと発表した。
アミロイドβというのは、アルツハイマー病の人の脳にたまる物質のことだ。それが歯ぐきでつくられていた。
口の中の話が、そのまま脳の話につながっている。
よく噛むと、脳の血の巡りが増える
「よく噛むと頭にいい」という話は聞いたことがあったけれど、そのしくみまで解明されているとは知らなかった。
東京都健康長寿医療センター研究所が2019年に発表したところによると、噛むことでマイネルト神経細胞という神経が活発になり、大脳の血の巡りが大きく増える。この神経は記憶や認知の働きに関わっていて、アルツハイマー型の認知症では、この神経細胞が壊れて減ってしまうことがわかっている。
噛めることと、頭の働きが、一本の線でつながっていた。
糖尿病、肺炎、要介護
ほかにも、調べれば調べるほど出てきた。
歯を磨くだけで肺炎の死亡が半分になる、というのがいちばん驚いた。口の中は、健康の入り口そのものだった。
5. 失う原因の3分の2は、防げるものだった
では人は、なぜ歯を失うのか。
8020推進財団という団体が、全国の歯科医師2,345人から報告を集めて、抜かれた歯8,003本の原因を調べている。
上の2つで66%。どちらも、手入れと定期的なチェックで防げる可能性があるものだ。
事故で折れたわけでも、生まれつきでもない。大半は、毎日の積み重ねの結果だった。
わたしが今年、奥歯3本を治すことになったのも、まさにこれだ。子どものころに手入れを怠った結果が、30年近く経ってから出てきた。
6. わたしがいまやっていること
ツケを払ったあとなので、ここからは守りに入っている。
この80点というのは、歯垢をどれくらい落とせているかを100点満点で表したものだ。80点以上あれば、虫歯や歯周病を防ぐうえで合格とされている。つまりわたしは、ちょうど合格ラインに乗ったところだ。
それでも、けっこううれしかった。歯医者さんに褒められることなんて、子どものころは一度もなかったからだ。
日本全体で見ると、80歳で20本以上の歯が残っている人の割合は61.5%、過去1年に歯科健診を受けた人は63.8%だった(令和6年の調査)。どちらも前回より増えている。
今年入れたジルコニアを、10年、20年と使っていくつもりだ。かけた費用を取り戻す方法は、長く使うことしかない。
7. 健康は、お金より先にある
ここまで書いてきて、はっきりしたことがある。
健康は、お金よりも時間よりも先にある。順番として、いちばん最初に来る。
健康でなければ、お金は使えない。仕事もできない。行きたいところにも行けない。つまり健康を失った時点で、資産も時間も価値が下がる。それなのに、ふだんはその存在に気づいていない。
健康寿命というのは、日常生活に制限なく過ごせる期間のことだ。女性の場合、平均寿命との差は11.63年ある。
つまり平均的には、人生の最後の10年以上は、体のどこかに制限を抱えて過ごすことになる。
老後のためにお金を貯めても、いざ使える年齢になったときに、海外に行く体力が残っていないかもしれない。別の記事でも書いたけれど、34歳のいま行ける場所と、64歳で行ける場所は、たぶん同じではない。
強いストレスを抱えながら働くことも、資産を削っている
もうひとつ、書いておきたいことがある。
壊れそうになりながら働くのは、いちばん大事な資産を削っているということだ。目の前のお金は増えるかもしれないけれど、そのぶん健康という元本を取り崩している。
しかも心のほうは、体よりも元に戻りにくいことがあると思っている。骨折なら治るまでの見通しが立つけれど、心が参ってしまうと、いつ戻るのかがわからない。なってしまってからでは遅いのだ。
これは、資産を取り崩さずに暮らす設計を選んだのと、まったく同じ考え方だ。減らさなくていいものは、減らさない。
わたしがサイドFIREという形を選んだのも、突きつめればここにつながっている気がする。仕事を選べるようにしておきたかったのは、自分をすり減らさずに続けたかったからだ。
気づけるのは、失ったときだけ
やっかいなのは、健康は失うまでありがたみに気づけないことだと思う。
風邪をひいて、はじめて「ふつうに生活できるのはすごいことだった」と思う。治ったら、また忘れる。歯もまったく同じで、痛くならないかぎり、あることを意識しない。
だからこそ意識して守りにいくしかない。フロスも、定期検診も、ふつうに暮らしていたらやらなくても済んでしまう。やらなくても、今日は困らないからだ。
今年かかった費用は、正直なところ痛かった。でもそのおかげで、いちばん大事な資産の存在を思い出せた。それはたぶん、金額以上の価値があった。
まとめ
- 今年、奥歯3本の銀歯をジルコニアに替えた。子どものころに手入れを怠ったツケが30年近く経って回ってきた
- 歯を1本失って入れ直すとインプラントで30〜40万円。法律の基準でも、3本以上を人工の歯にすると後遺障害14級(慰謝料の目安110万円)にあたる
- それでも安いと思ったのは、天然の歯にある「歯根膜」が買い戻せないから。髪の毛1本を感じ取るセンサーで、インプラントにはない。しかもインプラントは15年もつ人が9割で、永久ではない
- 歯が20本以上ある人は、19本以下の人より体全体の医療費が約2割少ない(44,663人+47,128人の調査)
- 歯科健診に通う人は年間医療費が9.5万円低く、予防で通う人は8年間の介護費が約11万円低い
- 65歳時点で歯が20本以上ある人は、0本の人より認知症にならずに過ごせる期間が男性2.04年・女性1.75年長い(44,083人を10年追跡)。亡くなるリスクも1.47倍の差
- 歯周病の菌は脳にも関わる。人間の歯周病の歯ぐきで、アルツハイマー病の脳にたまる物質がつくられていた(九州大学)。よく噛むと脳の血の巡りが増えるしくみも解明されている
- 専門家による口のケアで肺炎の発症・発熱・肺炎死がおよそ半分に。歯周病の治療で糖尿病の数値も改善する
- 歯を失う原因は歯周病37.1%+むし歯29.2%=66%。大半は毎日の積み重ねで防げるもの
- 平均寿命と健康寿命の差は男性8.49年・女性11.63年。お金を貯めても、使える体が残っていないかもしれない
- 健康はお金より時間より先にある。壊れそうになりながら働くのは、いちばん大事な資産を取り崩していることになる
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