「日本語で学べる」は200年前の先行投資だった。言葉とお金は、同じ仕組みでできている
8月24日、白川英樹さんが亡くなった。90歳。電気を通すプラスチックを見つけて、2000年にノーベル化学賞を受けた人だ。訃報のあとに読んだ記事に、こんな話があった。受賞のときの会見で、外国の記者に、日本に受賞者が多いのはなぜかと聞かれた。そのとき白川さんは、日本語で書かれた教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか、という趣旨の答えを、とっさに返したという。本人が後年のインタビューで振り返っている。
この答えを聞いて、こう思う人もいるはずだ。
😟「英語で学んだほうが、有利なんじゃないの?」
😮「それが、なんでお金の話になるの?」
😑「言葉の話はいいから、資産の話をしてよ」
結論から言うと、わたしは日本語で学べることを、自分の資産の1つだと思っている。証券口座には載らないし、値段もつかない。でも、江戸から明治にかけて先人が払い込んだ先行投資で、その配当をいまも受け取っている。そして言葉とお金は、同じ仕組みでできている。
順番に説明する。
1. 払い込まれた元本
「酸素」「水素」「元素」「細胞」。この言葉を作ったのは、江戸時代の蘭学者、宇田川榕菴だ。1837年に刊行が始まった『舎密開宗』という本で、オランダ語の化学書を訳しながら、日本語にない言葉を一語ずつこしらえた。「哲学」は明治の西周。そうやって作られた訳語の上に、日本の理科の教科書も、経済の教科書も、いま乗っている。
白川さんが70歳ごろから関心を寄せていたのは、自分の研究分野ではなく、専門語を一語ずつ訳して学問の体系を作った、この先人たちの仕事だったという(デイリー新潮)。
投資の言葉で言い換えると、こうなる。訳語を作る仕事は、そのときは一円も生まない。何十年も先に、誰かが日本語で学べるという形で、初めて戻ってくる。元本を払い込んだのは200年前の人で、配当を受け取っているのはわたしたちだ。気づかないのは、生まれたときからもらっているからだと思う。
2. なぜ、これがお金の話なのか
ここが、この記事の芯だ。解剖学者の養老孟司さんが、あるセミナーで話していたことを、わたしなりに追ってみる。
養老さんの話の筋はこうだ。感覚の世界に、まったく同じものは1つもない。バラが何本咲いていても、1本ずつ違う。ところが人間の意識には、その違うものを「同じ」とみなす力がある。このバラもあのバラも「バラ」。これが1回目の「同じ」で、動物にはできない。言葉はこの力から生まれた。
2回目の「同じ」は等価。「この魚とこの米は、価値が同じ」とみなすルールを作った。価値が同じとみなせるから、魚を米に替える交換ができる。動物どうしが市場で物を交換することはない。違うものを同じとみなす力(1回目)の上に、価値が同じというルール(2回目)を重ねて、交換の道具にしたのがお金。お金は「同じ」の二乗だ。養老さんは、だから猫に小判ということわざは奥深い、と話していた。1回目の「同じ」も分からない動物に、二乗したお金が分かるはずがない。
ここから先は、わたしの見立てだ。円は、日本の中だけでなく世界が「これは同じ価値だ」と認めているから回る。日本語も同じで、「酸素」「元素」「細胞」という言葉を見て、1億人が同じものを思い浮かべるから、教科書が書ける。言葉もお金も、大勢が「同じ」と認めた分だけ、使える範囲が広くなる。
3. バランスシートに載らない資産
では、日本語で高等教育まで受けられることは、どのくらい珍しいのか。
2017年の『中央公論』で、ジャーナリストの会田弘継さんが政治学者の宇野重規さんと対談している。会田さんの言葉を、そのまま載せる。
一億を超える人たちがすべてのことを自分の国語で、そして高等教育まで賄える。これができる国家は、英米を除けば、フランス、ドイツ、イタリア、スペインぐらいではないでしょうか。
ヨーロッパの小さな国では、大学の教科書は採算が合わないので自国語では作れず、授業が英語になる、という話も出てくる。宇野さんは、教科書が日本語で書かれていることを当たり前だと思っているけれど、こんなに恵まれていることは珍しい、と続けている。養老さんも講演で、自分の本を日本語で読める人が1億人を超えている、こういう文化はそう多くない、と話していた。
ここで、自分に反論しておく。母語で学べるから受賞者が多い、というのは相関であって、因果ではない。戦後の研究への投資、企業の基礎研究、人口の大きさ。どれでも同じ結果は説明できる。白川さん自身、推論の形で話していて、証明したとは言っていない。だから、受賞者の数を「日本語すごい」の証拠にはしない。言えるのは、会田さんの見立てでは自国語で高等教育まで賄える国はそう多くなく、日本はその側にいる、というところまでだ。
それでも、わたしはこれを資産だと思っている。バランスシート(持っているものと借りているものの一覧表)には載らない。でも、毎日使っていて、使うたびに価値が出て、使っても減らない。わたしはこれを、資産と考えている。
4. いまの論点。取り崩しか、更新か
その資産に、いま動きがある。
東京大学の工学系研究科は、2025年度から大学院の授業の英語化を始めた。理由は研究科長の文書に書いてある。工学では英語が世界の標準言語で、海外のトップ大学では大学院の授業は英語が一般的。そして、同研究科の大学院生の約4割が留学生であること。
わたしは、この判断を間違いだとは思わない。工学の論文は英語で書かれ、4割が留学生なら、日本語の授業のほうが不便な人も多い。
ただ、資産の言葉で見ると、これは取り崩しにも、更新にもなりうる。200年前の先人がやったのは、外国語で学んで、それを日本語に置き直す仕事だった。英語で学んだ中身を日本語に戻す仕事を誰かが続けるなら、資産は更新される。戻す仕事がなくなれば、日本語の専門語は少しずつ古びて、教科書が日本語で書きにくくなる。
養老さんは講演で、日本語を残して、しかも残すことにメリットがある形を作れるかどうかだ、と話していた。わたしもそこが論点だと思う。英語化そのものより、置き直す人が残るかどうか。
5. AI時代の値付け
言葉には、2つの役割がある。作家の丸谷才一さんが、言葉には伝達の道具と思考の道具の2つの役割があり、思考のほうがなおざりにされている、と書いている。白川さんはこの文章に出会って、会見で答えたことへの考えを固めたという。
このうち伝達の道具のほうは、AIがいちばん得意なところだ。英語の論文を日本語に、日本語のメールを英語に。数年前まで人が時間をかけていた仕事の値段が、大きく下がった。
では、思考の道具のほうはどうか。文芸評論家の三浦雅士さんが、ある講演で、母語を体に染み込ませてから外国語に行くべきで、考えるのは母国語(日本語)でやって、それを翻訳できる力に持っていくのがいい、と話していた。白川さんの答えと、同じ方向を向いている。冒頭の2つ目の声、英語で学んだほうが有利ではないか、への答えは、たぶんここにある。
ここも、わたしの考えだ。翻訳が安くなるほど、母語で核心まで考える力の値段は、相対的に上がる。この記事の1章で書いた配当は、伝達ではなく、思考の側に出ている。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』5.6(1921年)
100年前の哲学者の一文だ。言葉が届く範囲までしか、世界は見えない。わたしが日本語で見ている範囲は、200年前の誰かが一語足すたびに、少しずつ広がったものだ。
6. 受け取っているのは、他人の仕込み
わたしがいま受け取っている配当は、200年前の、会ったこともない人が仕込んだものだ。宇田川榕菴は、自分の作った「酸素」という言葉で、200年後の子どもが理科を学ぶとは思っていなかっただろう。それでも一語ずつ作った。
このブログは日本語で書いている。読んでくれる人も、日本語で読んでいる。わたしにできることは、日本語で考えて、日本語で書き続けることくらいだ。ただ、次に仕込むのは誰か、という問いだけは、この記事に残しておきたい。答えは、わたしにはまだない。
この記事に、買うものは1つも出てきません。オルカンの積立も、日本の高配当株119銘柄も、BNDも、8年以上SBI証券の口座です。
SBI証券の公式サイトを見る →7. まとめ
- 白川英樹さんは受賞会見で、日本語の教科書で学んでいるからではないか、という趣旨の答えを返した。本人は推論として話している
- 「酸素」「細胞」「哲学」は、江戸から明治の先人が作った訳語。元本を払ったのは200年前の人で、配当を受け取っているのはわたしたち
- 違うバラを「同じバラ」とみなす力が1回目の「同じ」。価値が同じとみなす等価が2回目。お金は「同じ」の二乗(養老孟司さんの話の筋)
- 自国語で高等教育まで賄える国はそう多くない(会田弘継さんの見立て)。日本語はバランスシートに載らない資産
- ノーベル賞の数は相関であって因果ではない。「日本語すごい」の証拠にはしない
- 東大工学系の大学院は2026年度から、英語化できる授業は原則英語。論点は英語化そのものより、日本語に置き直す人が残るか
- AIで伝達は安くなる。思考の道具としての母語の値段は、相対的に上がると見ている
・受賞会見での答え、言葉の2つの役割(丸谷才一さんを経由):ブーストマガジン「英語よりまず日本語を」(2017年11月25日)。IBMのメディア「Mugendai」のインタビューを紹介した記事で、発言は同記事の要約による
・70歳ごろからの江戸〜明治の先人への関心:デイリー新潮「なぜ「ノーベル賞」の日本人受賞者は多いのか?」(2026年9月19日)
・宇田川榕菴の訳語と『舎密開宗』(1837年〜):Wikipedia「宇田川榕菴」
・養老孟司さん・三浦雅士さんの講演:それぞれの講演の中継の自動文字起こしから。本文では発言を引用せず、話の筋として書いた。表と本文のバラの例はわたしのもの。「同じ」にする能力については養老孟司インタビュー「同じ」と「違い」(idees montessori)、『遺言。』(新潮新書、2017年)の第3章・第5章も同じ論旨
・会田弘継さん・宇野重規さんの対談(『中央公論』2017年8月号 特集「英語1強時代、日本語は生き残るか」):hellog「#3011. 自国語ですべてを賄える国は稀である」からの孫引き
・東大工学系研究科の英語化:東京大学大学院工学系研究科「大学院の授業の英語化について」(研究科長 加藤泰浩)
・ウィトゲンシュタインの言葉:Ludwig Wittgenstein, "Logisch-Philosophische Abhandlung"(1921年)5.6。訳はわたし




